オ ピ ニ オ ン


◎年頭所感(第361号・2008年2月号)
 人をわかってこそ道あり
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 この時期となると、世間は受験の雰囲気が色濃くなる。いろんなお菓子の商品も、さまざまなロゴあわせをして、合格祈願の商品を売り出している。
 二〇〇八年に入って、本会の先輩と話す機会があったが、話題は受験の話になった。
先輩は、「受験勉強の時は、赤本を何度も解いたうえに、受験に関する本を片っ端から読んだなぁ」と話したうえで、インターネットの話になった。
 最近の受験に関する情報は、インターネットで集めることができる。それも手軽にできる。この利便さに先輩はうらやましく思いつつ、どこか不安な思いがあるという。
 それが人離れ。
 人離れというのは見えてくる。わからないことがあれば、高校の進路相談の先生や自分の担任に話をもちかける。それが、いつか完全になくなってしまうのではないかというのだ。そうして、人間の温かさを忘れてしまう・・・
 確かに、極端な話かもしれないが、携帯がここまで流行って、メールがコミュニケーションの手段となると、人から放たれるオーラのような、直接会ったものしかわからない、言葉ではなかなか説明しにくい雰囲気のようなものがわからなくなる。
 社会から「人間らしさ」というものがなくなり、ゼロとイチだけのコミュニケーションの世界となると、恐ろしい。「ペンは剣よりも強し」という言葉があるように、文字には確かに力がある。しかし、文字というものは、その人の心があってこそ、人の心を動かす力が生まれるものであろう。
 母親のお腹の中にいる時から、言葉の背後の「愛情」によって、子どもは育っていくと言われている。その愛情というものは、投げかける言葉そのものよりも人から直接に感じる「何か」ではないだろうか。
 こうした「愛情」でもって、人と人が、心から相手のことを思いやり、助け合い、さらに愛情を育んでいく中で、生まれ、すくすく育つのが子ども。これが自然の摂理ではないか。
 だが、ニュースやドキュメント番組を見てみれば、自然の摂理と考えているものが、間違っているように思えてくる。赤ん坊を捨てたり、愛のきずなで結ばれているであろう、家族を殺したりと・・・
 何が正しいのか、わからなくなってしまっている。誰もはっきりとした「正義」の方向性を、自信をもって示すことができないからだろう。
 高校の道徳の時間に「なぜ、援助交際がいけないのか」という質問を担任にした際、はっきりとした答えがなかったことが思い出される。
 ただ、その高校の担任は、「論理以前に、人の心には自然と何が正しいか、わかるような感覚があるはずなんだけど。その指針のようなものを狂わしているものがある」と最後に話した。
 高校生の頃はわからなかったが、社会に出る一歩手前になった大学生になって、妙に心にひっかかる。
 戦後の歴史小説作家の池波正太郎の「男の素顔」という作品に、「人間は生まれてきて、毎日死へ向かって歩み続けているということだな。そのことをよくのみこまねばならない。若いうちからな」という一節がある。
 社会のさまざまな問題を起こしているのは人。その人の心をわかってこそ、死や愛情というものを考えてこそ、さまざまな問題の解決の糸口が見えてくるのではないだろうか。
 人離れを助長する受験ではなく、再び親子や友人、教師とのきずなを深める受験となっていくことを願うばかりだ。


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